政治と経済
無意味さを楽しむ − 選挙で「誰に投票していいかわからない」「どうせ何も変わらない」ときの対処法
Glass Story
選挙に行かない、二つの足かせ
昨今、世界中で大きな決断を迫られる国民投票のニュースが続いています。
また、雇用や保育など、若者の日々の生活に直結する問題も徐々に表面化してきたこともあって、選挙への興味や関心は、実際のところ投票率が指し示すほどには低くはないのではないでしょうか。
選挙に行こうと思っているという声も、選挙の投票日前の段階では決して少なくないと言います。
それでも、結果的に「選挙に行かなかった、投票しなかった」人が多くなっている理由として、「自分一人の投票ではどうせ何も変わらない」といった選挙への無意味さを覚える諦めの気持ちや、「問題が複雑で、誰に投票していいかわからない」といった声があります。
こういう声は、組織票やお付き合いで入れる投票スタイルに馴染みのある年配や高齢者の方々よりも、どちらかと言うと、若者世代に多い傾向にあるのではないでしょうか。
そこで、この「誰に投票していいかわからない」と「選挙に行ってもどうせ変わらない」という二つの重たい足かせについて、それぞれ個人的に考える、ちょっと風変わりな対処法を紹介したいと思います。
対処法1、政治家ではなく友人を選ぶ
これだけ複雑に問題が絡み合い、テレビも、ネットも、書店の棚も、情報に溢れ、錯綜し、激しく争い合っているのだから、選挙離れが進むのも仕方がありません。
日々の生活や学校の人間関係、病気、失恋の傷や過去のトラウマ。
向き合わなければいけない問題が山ほどあるのに、ぐしゃぐしゃにこんがらがった国の未来と向き合っている余裕はない。
そこで、僕が提案したいのが、「政治家ではなく友人を選ぶ」という方法です。
もしかしたら、あなたは、政治家のマニフェストは嘘っぱちだし、ポスターは似たり寄ったりに見える。だからと言って人間性もわからないし、と思っているかもしれません。
でも、もし各候補者と5年くらい身近な関係として付き合いがあったらどうか。
たとえ、政治の難しい話が分からなかったとしても、感覚的に「信頼できる」かどうかが見えてくるのではないでしょうか。
同じように、身近な関係にある友人、知人なら、たぶん「わかる」と思います。
だから、たった一人、この人の考え方って素敵だな、生き方って尊敬できるな、ちょっと意見を聞いてみたいなと思える人について想像してみて下さい。
それは昔ながらの友人でも、馴染みのカフェのマスターでも、近所のおばあちゃんでも構いません。
そして、「あのさ」と聞いてみる。
─── あのさ、今度、××選挙ってあるでしょ。ちょっとだけ投票してみようかなと思うんだけど、まったく分からなくて。だから、参考にしたくて、あなたの意見を聞いてみたいと思うんだ。
そうしたら、きっと、彼(彼女)も、「私も難しいことは分からないけどね」と前置きした上で、「私は、今回の選挙、こういう選択をしようと思う。その理由は ─── 」と、自分の言葉で語ってくれるのではないか、と僕は思います。
もし政治家を選べないようなら、たった一人の友人、知人、家族を選ぶ。そして、その意見を素直に採用する(あるいは真逆を選んでみてもいいかもしれません)。
僕は、その方法をお勧めしたいと思います。
もちろん、責任を友人、知人に転嫁するのではなく。あくまで自分の責任で、今回は彼、彼女の意見を聞こう、と決めてみて下さい。
対処法2、無意味を楽しむ
また、「投票しても、どうせ何も変わらない」ということも理由に挙げられるでしょう。選挙なんて無意味だよ、と。
そのときの、これは極めて偏った個人的な方法かもしれませんが、提案したいのが、「逆にその無意味を楽しむ」という方法です。
実際、僕自身〈無意味だなあ〉と思いながら投票することもあるのですが、でも、一方で、その無意味さを楽しんでいる自分もいます。
どういうことかと言うと、子供の頃に見た、夏の嵐が過ぎ去ったあとのドブ川を思い出すのです。
普段は静かな川の流れが、溢れんばかりの濁流のように激しくうねっている。その流れを、僕は覗き込むように眺めながら、小さな葉っぱを一枚落としてみる。
その葉っぱは、水面に触れた瞬間、あっという間に姿を消す。
そのときの言葉にできない無力感と高揚感が、投票用紙に、考え抜いた末に想いをこめた候補者の名前を書いて、半分に折り、その紙が真ん中の投票箱の口にそっと吸い込まれていく瞬間の感覚と、とてもよく似ているのです。
社会や歴史の潮流からすれば、全く無意味でちっぽけな一票に過ぎない、その一票を投じて、その価値があっという間に消えていく。
僕は、ときどき、そういう「楽しみ方」をします(よかったら次の選挙、その感覚を追体験してみて下さい)。
選挙で変わるもの
要するに、選挙って自分で勝手にカスタマイズして自由に楽しんだらいいんだと僕は思います。
─── ポスターのセンスが悪いなあ、視線がわざとらしく歩行者を見たり、わざとらしく視線を外したり。じゃあ、一番安心できる視線って誰だろう。
そういうことでも良いと思う。そういう部分にも、じゅうぶん現れる。目つきや、声にだって人柄は出る。
あるいは、嘘臭く薄っぺらいキャッチコピーが並ぶなかで、一番うわべじゃない言葉は誰だろう、ということを考え抜くことだって大事です、絶対。
そして、最後に。
選挙で何か世界が大きく変わる、ということは(一気に悪化する以外には)ありません。
選挙で変わるのは、世界ではなく、自分です。
その限定的な期間だけでも、選挙に、不器用でも、未熟でもいいから参加して、投票することで、自分が、ほんの少し変わる。
そのほんの少しだけ変わる自分というのが、何年も何年も積み重なっていって、あるいは何人も何人も広がっていって、その延長で、世界がゆっくりと変わっていく。
僕は、そう思います。
以上、誰に投票していいわからない、どうせ何も変わらない、と思ったときの風変わりな対処法でした。


